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カテゴリ:歴史( 5 )


2013年 10月 27日

theclaの歴史散歩④ 小机城散歩

新横浜近くの鶴見川脇の小高い丘に小机城がある。
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ベニシジミと小机城址 CANON EOS 60D SIGMA 17-70mm Macro(外部ストロボ)
第三京浜で城の西側が破壊されているが、小机城址市民の森として整備されており、本丸、二の丸や空堀などの遺構が残っている。主要な郭が直線上に連なり、周囲に空堀や腰曲輪を配置する連郭式の縄張りで、後北条氏の典型的築城法のようだ。
根小屋から竹林の中を登るとすぐ、本丸の手前の腰曲輪に出る。本丸との間の空堀がすぐに見える。
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腰曲輪を二の丸方面へ向かうと、小さな祠のある曲輪へ出る。
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その先に櫓跡の大きな土塁。
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二の丸広場では人が集まって何やら竹の筒を並べている。
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本丸下の堀にも竹筒を並べる作業中。
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竹筒の中には水と小さなろうそくが
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家に帰って調べてみたら、ちょうどこの日、「日本の竹ファンクラブ」が「竹灯篭まつり」をやるのでその準備をしていたらしい。HPで見てみると中々幻想的で良さそうなので来年は行ってみようかとも思う。

二の丸から本丸の間の空堀を下ったところ。
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二の丸北側の空堀、往時はかなり深かったものと思われる。
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空堀から本丸に上がる。本丸広場もイベントの準備中。
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本丸の虎口の土塁と模擬冠木門。
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小机城を降りて、カバマダラが発生していた公園へ向かう。台風による出水と草刈で激減してしまったが、まだ、生き残りがいないかと公園の外側を探していると、1頭のカバマダラ♂を見つけた。
せっかくなので行って来たばかりの小机城址をバックに記念撮影。
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カバマダラ&小机城址 CANON EOS 60D SIGMA 17-70mm Macro
台風一過の青空の下、古城巡りも悪くない。
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by toshi-sanT | 2013-10-27 23:10 | 歴史 | Trackback | Comments(7)
2010年 01月 17日

theclaさんの歴史散歩③ 松代城

この夏、松代城へ久しぶりに行ってみた。昔行った時は石垣しかなかったが、本丸の櫓門などが復元されていた。松代城は、武田信玄が山本勘助に命じて対上杉謙信に備えるために築かせた海津城でもある。
1622年に真田信之が上田から移封、明治まで真田家の城として続く。そういえば昔NHKのドラマでやっていた真田太平記のラストは真田信之の上田から松代への移封だった。
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太鼓門(大手側)
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松代城の復元図
松代の市街側はこの図の上側、下側は千曲川の旧河道になる。
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海津城址の碑
天守台跡に登り土塁越しに妻女山方面を見る。案外近い。
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天守台から妻女山方面
天守台から妻女山の反対側に目を向けると北不明門(搦手門)と枡形虎口、土塁が見える。
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枡形虎口に外側から入るとこんな感じ。
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櫓門と周囲の石垣上から集中砲火を受けることになる。
土塁北側、武田氏築城当時はこの土塁のすぐそばを千曲川の流れが流れていたか、湿地になっていたはず。
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振り返ると天守台。
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変にコンクリート製の天守閣が作られているより、石垣だけの方が古城の風情があるような気がするのだが・・・。
松代の町は、この他に真田宝物館、真田邸、文武学校などあって一日かけてゆっくり回っても良さそうだった。宝物館に真田太平記で出演者が着用した鎧が展示してあったのだが、20年以上経っているので一瞬「本物?」と思ってしまった(笑)

〔ムモンアカシジミ〕
蝶の写真がないのも寂しいので、松代城に行った翌日撮影したムモンアカシジミの画像。未公開だが既公開のものと同じアングルなので余り差がないが・・・。
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※この城、どこかの城に似ていると思っていて、どこだろう、どこだろうと思っていたのだが、この記事を書いた後でふと気がついた。小諸城に似ているのだ。
全く違う構成なのだが、川側の大部分が自然の要害(小諸は段丘の入り組んだ崖、松代は多分千曲川沿いの湿地)でカバーし、大手側の正面のみを防御し時間を稼ぐという共通の設計思想と地形の生かし方(本城で前線基地なので時間を稼げば援軍が来る)を感じる。
本当に山本勘助という軍師がいて両城の縄張りをしたかどうかわからないが、少なくとも同一の設計思想によるものだと私は思う。
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by toshi-sanT | 2010-01-17 20:53 | 歴史 | Trackback | Comments(13)
2009年 10月 25日

theclaさんの歴史散歩② 春日山城 本与板城

今週は、天候、体調その他もろもろで新規画像が無いので、早くもオフシーズン企画を開始します。今オフシーズン企画は、色々撮影したけれど本記事に載せなかった画像を中心にしたいと思います。
第一弾は、随分間があいてしまいましたが、「歴史散歩」の第二弾になります。

〔春日山城〕
春日山城は壮大な山城なのだが、春日山神社の駐車場に車を止めると核心部だけ回ってくることが出来る。駐車場すぐ脇には上杉謙信公の銅像がある。
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謙信公銅像
春日山神社から直江屋敷跡に向かって登っていく尾根筋は、いくつかの空堀が尾根筋と直角に掘られている。V字型に断ち切るように空堀を切っているが、その掘割の斜面にカタクリやショウジョウバカマが咲き乱れていた。
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虎口を越えると直江屋敷跡に出る。低い土塁で尾根上が三段に分かれている。三段全部、直江屋敷なら確かにTVで見るような広壮な屋敷になるのだが、実際のところはどうだったのだろう。
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直江屋敷付近の尾根道
直江屋敷のすぐ上が毘沙門堂跡になっている。毘沙門堂の前の土塁は日当たりが良く、カタクリの花が咲き乱れていた。
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毘沙門堂とカタクリの花
毘沙門堂からひと登りで本丸跡に出る。
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板に書いてある七言絶句は、能登七尾城攻めの際に詠んだと言われる「十三夜」だった。
本丸には、こんな春日山城全域の絵図面があった。
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御館の乱の際、上杉景虎に先立って本丸を押さえたのが景勝、兼続の勝因との話があるが、この絵図面を見るとそれが良くわかる。直江屋敷、景勝屋敷、二の丸、本丸と押さえると城の核心部は完全に押さえたことになる。しかも本丸裏の大井戸と二の丸にも井戸があるから、ここに籠もられると簡単には落とせないのだろう。
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二の丸から本丸を見上げる
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本丸裏の大井戸 今も水がたっぷり
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本丸から上越市街を望む 林が切れるところまでが春日山城の城域 こうして見ると壮大な山城であることがわかる。

〔本与板城〕
直江家の城で本与板城と与板城があって本与板城の方が古く常盤貴子演ずるおせんが生まれた頃は本与板城は本城(与板城は兼続が築いたらしい)だった。
うっそうとした杉林を間引いて整備中という感じ。このあたりはギフチョウが多いはずだから、2、3年したら城跡をギフチョウが多数飛ぶかもしれない。
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本与板城本丸(実城)、左手の空堀が大空堀だが、大分埋まってしまっているみたいであまり大空堀という感じはしない。
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与板城本丸から信濃川を望む 手前の土塁との間にも深い空堀が掘られている
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与板城マップ

チョウの写真が一枚もないとさすがに寂しいので、どこの城かは書かないが、土塁の前を飛ぶギフチョウ
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by toshi-sanT | 2009-10-25 22:44 | 歴史 | Trackback(1) | Comments(4)
2009年 04月 05日

2009年4月上旬 越後の古城

この春休み息子をどこにも連れていっていなかったので、息子を連れて小旅行に出ることにした。
最近あるきっかけで息子が歴史に興味を持ったので(信長の野望!)、今年の大河ドラマ「天地人」にあやかって直江兼続ゆかりの越後の古城をいくつか巡って来た。
私自身歴史は嫌いではないし、山城跡は防御遺構を見つける楽しみもあるし、そこそこ運動にもなる。大きい城、小さな城、防御遺構なども少し撮影したのだが、そっちはシーズンオフにでも紹介することにして兼続ゆかりの代表的な2つを簡単に紹介しよう。
〔本与板城〕
常盤貴子演ずる「おせん」が生まれた頃の直江家の本城。兼続の時代には、2kmほど離れた与板城に移っていたようだ。
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本与板城
実城(本丸)も一時伸びた杉に覆われていたらしいのだが、展望がきくように切り倒されていた。思った以上に大きな城なのでもう少し整備されたらおもしろいと思う。

〔春日山城〕
20年ほど前に一度行ったことがあるのだが、その時は杉林に覆われて本丸、毘沙門堂くらいしか展望がきかないという記憶があったのだが、今回行ってみると杉や松を伐採してありかなり見晴らしが良くなっていた。もっともその分観光客も多かったが。
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三の丸の土塁脇から本丸を望む
三の丸は謙信の養子上杉景虎の屋敷があったあたり。右手の土塁の奥に二の丸がある。御館の乱の当初、景勝が本丸に景虎が二の丸に立てこもったと聞くが、行ってみるとびっくりするほど近い。こんなに近い距離で長いこと二大勢力がにらみ合うというのは無理だから、春日山城と直江津近くの御館に別れたというのも良くわかる。
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林泉寺山門の「第一義」の額
山麓にある林泉寺の山門には上杉謙信直筆という額がかかっている(本物は宝物館の中)。

〔古城のギフチョウ〕
出かける時の天気予報では、土曜日の午前中が晴れ、日曜日は曇りだった。SIGMA17-70mmも修理から戻ってきたので、満開のカタクリに来るギフチョウを撮影してから古城巡りに出る予定にしていた。
しかし、現地に着いてみると曇りで一向に日が差さず寒い。良い具合にカタクリは満開だったものの、見つかったのは胴体だけを食べられてしまったギフチョウの翅だけだった。
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それでも翌日曜日、古城巡りの途中、ギフチョウに出会えた。(場所は内緒)
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ギフチョウ 吸蜜 CANON EOS 40D TAMRON 90mm Macro
しかもちょっと斑紋異常で黒帯が人間が両手を上げたように見える。そういえば愛染明王の6本の腕の2本は上に向いていたはずだから、「兼続ギフ」ということにしておこう。(兼続は「愛」の前立ての兜が有名)
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ギフチョウ 静止 RICHO Caplio GX8
写真としては大したもではないが、山城バックの広角なので個人的満足度は高い。
午後になると羽化直後の個体が日光浴を繰り返しながらふわふわと飛んでいた。
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ギフチョウ 日光浴 CANON EOS 40D TAMRON 90mm Macro
飛翔速度があまり速くないので退院してきた広角レンズで飛翔も撮ってみると、一枚だけノートリで使えるものがあった。
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土塁跡の前を飛ぶギフチョウ CANON EOS Kiss DX SIGMA 17-70mm Macro

息子の撮影したものも一枚だけ載せておこう。
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ギフチョウ 静止 CANON EOS Kiss D SIGMA APO 70-300mm Macro
これも「兼続ギフ」だった。

最近、同じ場所ばかりに行っていたので、久しぶりの情報なし&初めての場所になった。決して撮影しやすい場所とは言い難いが、たまにはこんな出会いも良いものだ。
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by toshi-sanT | 2009-04-05 23:42 | 歴史 | Trackback | Comments(13)
2007年 01月 06日

theclaさんの歴史散歩① 長篠古戦場

昨年3月、日本で一番早く出るギフチョウを見たくて静岡方面へ出かけた。その際、三河地方へ足を伸ばし、長篠城と設楽が原の古戦場を見てきた。ちょうど来年のNHKの大河ドラマは「風林火山」なので、「武田氏」がらみということでそのときの風景を載せてみる。

長篠の戦い(ながしののたたかい):天正3年5月21日(1575年6月29日)、三河国長篠城をめぐり、織田信長・徳川家康連合軍3万5,000と武田勝頼軍1万5,000との間で行われた戦い。
徳川氏に属する奥三河の長篠城が武田軍に包囲され陥落寸前となったため、家康が織田軍の援軍を要請。旧暦5月21日(新暦6月29日)に長篠城西方の設楽原(したらがはら)あるいはあるみ原にて野戦が行われ、織田・徳川連合軍側の勝利に終わった。(出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』)

長篠城は、鳥居強右衛門の磔の絵が大きく書いてあるのですぐわかる。
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長篠城本丸
長篠城は寒狭川とその支流に囲まれた要害だが、今は駐車場からすぐ本丸だし、本丸のすぐ裏はJRの線路が走っていて往時の面影はない。もっとも一部は川が天然の堀になっていたことが良くわかる場所もある。
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本丸裏手からは、JRの線路越しにいくつかの小ピークがあり、武田方の砦が築かれていたようだ。写真の一番左手の山が、酒井忠次が長篠合戦当日に夜襲して落とした鳶の巣山砦。
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長篠城の北西の台地に長篠の合戦があった設楽原が広がる。設楽原には織田徳川連合軍の馬防柵が再現されている場所があった。
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馬防柵①
簡単な空堀とかき揚の土盛と組み合わせたタイプの馬防柵もあった。
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馬防柵②
これだと野戦築城陣地のような感じだ。
説明板にはこの背後の山にも各種防御遺構があると書いてあったので、織田徳川連合軍の陣地はかなり防御力が高いもののようだ。
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馬防策を武田側から見た風景
また、真ん中に川が流れており、その回りは今水田になっている。織田徳川連合軍3,000丁、3段構えの鉄砲隊に武田騎馬軍団が突撃した合戦と言われているが、騎馬軍団が突撃をかけるのに向いた地勢とはとても思えなかった。
少なくとも映画「影武者」のようなシーンではなく、陣地戦に近かったのではないかという気がする。
ちょうど、午後日が傾く時間帯で、織田徳川軍方が山の陰、山県昌景、馬場信房ら武田信玄時代の勇将・知将を一気に失い、滅亡への決定打となった武田陣側から見ると、物寂しい風景に見えた。

馬防柵をGX8で撮ってみた。こうして見ると、馬防柵も迫力がある。足軽など徒歩兵から見た視線はこんな感じだったのかもしれない。
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実は、昨年、蝶撮影の合間に歴史散歩もしたいと考えていた。もっとも最初の一回だけで後が続かなかったが、今年はもう少しそういうものも撮ってみようと思う。

あっ、「風林火山」は川中島の合戦までだから長篠の合戦はやらないんだった。まあいいか。
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by toshi-sanT | 2007-01-06 22:49 | 歴史 | Trackback(1) | Comments(6)